三国
‐トウキ‐(生没年不詳)
三国時代、魏の宦官で黄門令。明帝曹叡が崩御する直前、司馬懿に息子曹芳を託し深い忠誠を尽くしてもらうよう懇願した。 それを見守っていた宦官。のちに司馬懿がクーデターを起こして曹爽を逮捕したとき「私は先帝に忠誠を誓い陛下に危害が及ぶときは 粉骨砕身して勅命を奉じ陛下をお守りします、と申し上げました。これは側にいた董箕や女官たちも聞いております。だから曹爽が横暴を働いたので 逮捕したのです。」と董箕らを証人として挙げ曹芳に身の潔白を明かした。
‐チョウトウ‐(?〜249年)
三国時代、魏の宦官。第三代皇帝・曹芳に仕えた。最初の官職は黄門だったが当時の大将軍曹爽に属し、都監に任命され皇帝の動向を 逐一報告し自分が選んだ才人(女官)を曹爽に横流しするなどして阿っていた。 しかしその動きが朝廷の知るところとなり逮捕される。そして張当は曹爽がクーデターを起こそうとしていることを供述したのである。 これにより曹爽一味は全員逮捕され三族皆殺しとされた。
‐ソシャク‐(?〜254年)
三国時代、魏の宦官で第三代皇帝・曹芳に仕えた。黄門監。曹爽処刑後は司馬一族が権力を握り国政を欲しいままにしていたがこれに反発したのが 皇族の夏侯玄と大臣の李豊であった。李豊は宮廷内で大将軍・司馬師殺害を計画、内密で宦官との接触にあたった。そして選ばれたのが蘇鑠たちである。 彼らは宮中にあることをいいことに悪事を行なっていた。そこを李豊につけこまれ脅迫されて協力を余儀なくされたのである。だが陰謀は発覚し 李豊をはじめ蘇鑠らも逮捕され三族皆殺しとなった。
‐ガクトン‐(?〜254年)
三国時代、魏の三代皇帝・曹芳に仕えた宦官で永寧署令。蘇鑠らと同じく李豊の司馬師殺害計画を承諾し、計画を事前に曹芳へ伝える役を担った。 しかし計画は発覚し、三族皆殺しにされた。
‐リュウケン‐(?〜254年)
三国時代、魏の三代皇帝・曹芳に仕えた宦官で冗従僕射。後宮宦官であることを笠に来て悪事を働いていたが大臣の李豊から 同じく横暴を働いた張当を例にいずれ司馬師に逮捕されるだろと脅迫された。恐れおののいた劉賢は李豊の司馬師殺害計画を承諾し準備を手伝った。 だが計画は事前に発覚し劉賢はじめ蘇鑠、楽敦ら同胞の宦官も逮捕。処刑された。また連座制で彼等の三族も皆殺しにされ残りの親族は楽浪郡に流罪となった。
‐コウコウ‐(生没年不詳)
三国時代の蜀の宦官。後主劉禅に仕えた。丞相・諸葛亮の死後から黄皓は劉禅に寵愛されるようになった。ただし最初はただ寵愛される宦官であって 政権に関与することはなかった。これは諸葛亮の後任がしっかりしていたからで特に侍中の董允は厳しく取り締まり黄皓も度々咎められて 決して黄門丞より昇進することはなかった。だが董允が没すると黄皓はその後任についた陳祗と結びつき政権に関与するようになった。 そして陳祗が没すると遂に黄皓が全面的に蜀の政治を取り仕切るようになった。そして位も中常侍、奉車都尉へと昇進していった。 大将軍の姜維は黄皓が国政を握る事は国の乱れであると看破していたがもっぱら北伐に専念していたせいで宮廷内での地盤がなく 黄皓を処断するに至らなかった。それどころか逆に黄皓腹心の閻宇に大将軍職を奪われそうになるほどだった。 これほどまでに権勢を誇った黄皓だったが案の定、国は傾き遂に魏に滅ぼされてしまった。 黄皓は国を滅ぼした大罪人として魏からも死刑宣告をされたが巧みに賄賂を贈り、死刑を免れたという。 まさに人生の世渡り上手といえる。
‐コウトウ‐(生没年不詳)
呉の宦官。皇帝の孫皓に寵愛され恩賞と爵位を授けられた。陸凱はこれに対し、黄門を重用してはいけないと諌めているが 孫皓は聞き入れなかった。
‐ヨウタク‐(生没年不詳)
呉の宦官。高通とともに孫皓に寵愛され恩賞、爵位を授けられた。
‐センレン‐(生没年不詳)
呉の宦官。皇帝・孫皓に寵愛され恩賞、爵位を授けられ兵権も与えられた。

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